男鹿半島を吹く風は……

生鼻崎 (おいばなみさき) 脇本城跡、八英の梅
 Photo by Tetsueko 

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〈生鼻崎〉

生鼻崎トンネル(船川より)2008/11/9 4車線の工事中)

鎌倉末期〜室町時代にかけての男鹿には安倍・安東氏の一族が定着(約150年)していました。
ここ 生鼻崎の高台には安東愛季ちかすえの居城・脇本城がありました。

また、通っていた高校からは、放課後には歩いていける距離でした。当時はもっと切立った崖。
その頃はバイパスなどありませんから波打ち際の細い道。風景を独り占めしていましたよ。

  

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〈菅原神社〉

安東愛季の子、秋田実季さねすえが脇本城の鎮守として本丸に天正19(1591)年に
再建したものですが、崖崩れなどが発生したため、その後、現在の場所に移されました。
菅原神社の背後の高い所は内館で、脇本城の中心のひとつ、屋敷地でした。

  

「天神様の細葉の椿」高さ4m。樹齢400年余。
ヤブツバキの一種で、4月中旬にはピンクの花をつけます。Dec.

〈八英やつふさの梅〉

岩倉という岡に、八英の梅という年を経た一本の樹がある。毎年三月のころは、
野も山も谷もおしなべて、このかぐわしい匂いにつつまれ、風にのってひろがるという。

八英の梅は越後の国と陸奥の国にある二本だけが有名で、他のところにあると聞いた
ことがなかったが、この岩倉の岡のあたりに、このように年を経た大木があるとは
思いがけないことであった……」(菅江真澄「男鹿の秋風」)

たれ植えて八つの花英春はさぞ秋はもみじの色をみすらん  真澄

  

二代目八英の梅:
親指とひとさし指を丸くしたくらいの実が……

  

〈脇本城跡より〉

生鼻崎の高台には安東愛季ちかすえの居城・脇本城がありました。
 2,5km×1,5kmの広域。文化7(1810)年の大地震では
一部が海に沈んだといわれています。
   

生鼻崎の上を通る道は〈天下道〉とよばれていました。
北に向かう道は男鹿中・北浦方面に、西は船川から門前に続いていました。

  

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